Wednesday, April 22, 2009

ブローティガンの未発表作品

もう体力がありませんので、単行本の翻訳はやめます!とあちこちで宣言しました。ところがここらで気が変わったようなのです。それというのも、集英社がリチャード・ブローティガンの未発表の作品集の翻訳版をだすことになって、依頼がきて、そうか、ブローティガンならこれまでのことがあるのだから、やらねばならぬ、とわりと軽々しく引き受けてしまいました。

この未発表作品集というのは、ブローティガンがオレゴンにいた母親や妹たちをまるで遺棄するかのようにしてサンフランシスコへ「亡命」する直前に、それまでに書いた原稿・作品を一括して、エドナ・オブライエンという女性に渡したものでした。そらの作品の著作権などをすべて彼女に贈りたいといったのでした。そして、彼女の手にわたった原稿は、あらゆる状況において、その取り扱いはすべて彼女の意思にしたがってもらいたい、著作権その他すべての権利を彼女に引き渡す旨をしるした文書を残して故郷を去ったのでした。
ブローティフガンはオレゴン州にいた当時、周囲の者たちはよってたかって、「文章なんか書いて、なんの役にたつのかね。時間の浪費だ。無意味なことを一晩中やってるのは異常ではないか」とたえず非難されていたようです。そのような環境のなかで、このオブライエンさんだけが、かれの書きたいという衝動を理解して、励まし支持していたのではなかったでしょうか。

「ぼくは家出する。二度とこの町へ帰ってくるつもりは毛頭ないからね」と公衆電話をつかって家人に告げたということです。ヒッチハイクの旅でサン・フランシスコへ行くという決心をしていましたから、公衆電話ボックスを出て、ときをおかず、最初にかれを拾ってくれた車に乗ったのでした。

それまでに書いた作品を、ともかく自由自在に取り扱ってもらってかまわない、といってエドナさんにわたしたのは、ひとつには家出するまでのかれの過去と縁を切るという意味だったように思います。

『芝生の復讐』には「1/3  1/3 1/3 ]と題された物語があります。三人の人物がどしゃぶりの雨にゆれるトレーラーハウスで「談合」している話だ。(おや、です、ます調が急変してしまった)その三人とは、自分で建てたダンボール張りの掘っ立て小屋に棲んでいる一文なしの十七歳の青年と、生活保護を支給されて九歳の息子と暮らしている、脆くはかな三十代後半の単身の母と、製材所の貯水池のかたわらに置かれトレーラーハウスで寝起きして、製材所の夜警をしている飲んだくれのいかにも不運な印象をあたえる、四十代後半の男だった。三人の談合の内容は重大な画策にかかわるものだった。三人で役割を分担して、「小説を書こうじゃないか」という計画の可能性を検討していたのである。一文なし、無職の青年はタイプライターをもっているから仲間にいれてもらえた。当然、かれは原稿のタイプをうつ、製材所の夜警は小説を書く、そして生活保護の小切手を受け取る日をめぐって生きている単身の母は編集の責任をもつ、そういうことで約束がかわされた。

夜警が執筆中の小説は、若い樵がウェイトレスに恋をする、そういう話で、ノートに二〇ページくらい、小学生流の大きなのたくる字で記されていた。

この物語のなかには、「一九五二年、わたしは十七歳で、太平洋岸北西部にいて、雨ばかり降るくらいあの土地で寂しくて不安だった」と書かれている箇所がある。三人の談合は何を意味していたのか。かれは、「あのときわたしたちは雨のトレイラーのなかに坐りこんで、アメリカ文学の扉を叩いていたのである」とこのストーリーを結んでいる。なんとすばらしい結語ではないか。

あれ、変だ。『西瓜糖の日々』が増刷されることから書きはじめたのに、なぜ、わたし話は『芝生の復讐』に収録された「1/3 1/3 1/3」の方角へ行ってしまったのだろう?なにがいいたかったのか、そもそも。

あっ、そうだ。サン・フランシスコへ行く以前のブローティガンの生活についてヒントをあたえる物語だと思ったからだった。そして、それまでの作品をすべてエドナ・オブライエンに手わたして故郷を永遠に去った事実は、ブローティガンにとってこの女性はおそらく守護天使のような役目をはたしてくれた非常に重要な存在だったことを示している、とわたしは推察するのです。未発表作品の譲渡は、「アメリカ文学の扉を叩く」決心にいたるまでの過程に、なんらかの力をかしてくれた大切な恩人への深い感謝をあらわすためにかれが選んだ「行動」の形だったのではないかしら。

『不運な女』で、ブローティガンとは別れたと思っていたのに、またしてもかれの作品を翻訳するのはなぜだろうか。わたしはかれの作品はわたしが占有しているなどとついぞ考えたことはない。

あなたはこの世を去っていった数人の幽霊につきまとわれているのですよ、とあるひとにいわれた。ブローティガンもその一人なのでしょうか。答えはわかりません。たしかにいつまでもわたしの近くにで、幽霊たちがうろついている気配は感じます。「それらの幽霊」を負ぶっているわけでもないのに、いつも重いなにかに押しつぶされそうな気持ちは消滅しない。つねに肩と首がこってるのはそのせいでしょうか。マッサージや鍼をしてもらっても効き目がない。

かずこの文章はどんどん変になっていくね、といった友人。そういえば、このブログもどこか変ですねえ。本日はもうこれでお終い。

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